所在地 | 恵那市上矢作本郷 |
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築城 | 元亀3年(1572)ごろか |
存続 | 1570年代 |
比高 | 70m |
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標高 | 500m |
主な城主 | ー |
城跡のある上村宿は、中馬道と秋葉道が交わる宿駅で、信濃や東三河・遠江との往来には必ず通らなければならない交通の要衝である。天文はじめには遠山串原氏が領主であったが、同23年(1533) には下伊那の下条信氏領となっている。
「丹羽氏聞書」には「上村原弾正と申仁被居候、月瀬村ニ原党之元祖也」とある。原氏は下条領である月瀬村(根羽村)の土豪である。
上村川と飯田洞川の合流点の丘陵先端部に立地し、南麓を中馬道が通る。 城は東西200m以上に及び、細長く伸びた尾根を3本の堀切で区画している。最も奥の堀切の直上には櫓台を設けている。
特筆されるのは中央を区画する2本の堀切で、どちらも幅約20m、深さ約8mの箱堀で、両端は竪堀となって南北の斜面に落ちている。竪堀も合わせた延長は100m以上あり、尾根を完全に分断している。このような規模の大きな堀切・整堀は、東美濃では他に類例がなく、城そのものも有数の規模である。前田砦は、武田領と岩村城をつなぐことを目的として、武田によって築城もしくは改修を受けた可能性が高い。
JAひがしみの上村支店横の大船神社参道(表示あり)が登城口
【登り口から砦跡まで約15分で到着】