所在地 | 恵那市明智町万ヶ洞 |
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築城 | ー |
存続 | ー |
比高 | 70m |
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標高 | 520m |
主な城主 | ー |
戦国期の城主等は不明。
関ヶ原の戦の後、2 代長景の庶兄遠山与惣左衛門は麓の万ヶ洞に屋敷を構え、方ヶ洞様と呼ばれた(「明知年譜」)。
明知城の南、万ヶ洞を隔てた尾根の先端に立地し、東西二つの曲輪群からなる。
東側の曲輪は、背後(東端)を二重堀切で画し、北側には帯曲輪が巡る。その東端は横堀状になり 3 本の竪堀を設けている。
堀切を隔てた西側の曲輪は、周囲に帯曲輪を巡らせ、さらに 1 段低い位置に横堀・堀切とこれに連動する畝状竪堀群が巡る。このうち北西の 1 本は、万ヶ洞の入口を画するように麓近くまで延びる長大な竪堀である。仲深山砦の規模は、 明知城の主郭部分に匹敵し、一段低い位置に帯曲輪や横堀と連動した畝状竪堀群を設ける点も明知城に類似する。
明知城の南を守る砦か、それとも攻撃のための陣城か、興味深い城跡である。
かえでホールの南西200m道沿いに登城口(表示あり)
【登り口から砦跡まで約15分】