所在地 | 恵那市岩村町飯羽間 |
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築城 | 16世紀中ごろか |
存続 | 16世紀中ごろ~天正3年(1575)ごろ |
比高 | 30m |
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標高 | 530m |
主な城主 | 遠山飯羽間(飯間)氏 |
遠山飯羽間(飯間)氏は、岩村氏から分出した遠山一族で、奉公衆三番に名前を連ねていた。元亀天正の争乱のときの城主遠山友勝・友忠父子は、織田信長と誼を通じて勢力を伸ばし、苗木直廉の死後に苗木城主となった。
飯羽間城は、友忠の長子友信が継承したが、友信は天正 2 年(1574)武田勝頼の東濃侵攻のときに明知城内で謀反を起こし落城に導いた。その後甲斐に流れたが、天正 10 年(1582)武田滅亡の際に織田方に捕えられて処刑されている。
飯羽間城は、城主不在となった天正 3 年ごろに廃城になったと推定される。
城跡は、飯羽間川が形成した比高 30m の低い独立丘上にあり、丘全体に曲輪が展開する。主郭部分は長辺 20~35m、短辺約 20m の曲輪が東西に三段連なる。 防御は急な自然地形と切岸に頼っており、明瞭な虎口や土塁などは認められない。
城の西側には、向山と呼ばれる小丘があり、細い尾根により連結している。
この丘も頂部が削平されて畑となっており、さらに西に続く丘陵との間は堀切状の谷によって画されている。
明知鉄道極楽駅または岩村駅から徒歩40分
【空き地から曲輪まで約10分】